庶民の食卓

繊細そうで鈍感な少し大雑把なラー油

他人の腹具合が気になる

道ゆく前を歩いている人が松屋に入っていった

ポケットに手を入れてスッと流れるように松屋に入っていった姿になんだか心惹かれた

同じ日に星乃珈琲店に入っていく親子を見かけた

そこまでときめかなかった

 

多分だけど空腹を満たそうとしてる人を見るのが好きなのだと思う

でも、例えばお腹空いた!と娘に言われるのは少し意味合いが違く、自分が作るという条件が追加されるため、ご飯を作らねばならぬ時が来たか…と覚悟を決めるのだが

 

松屋の方は想像の余地があって楽しい

数ある駅前の飲食店の中から松屋をこの人は選んだのか…とか妄想してしまう

あ!お腹が空いていてなおかつ牛丼が食べたい人だ!と思って背中を見送るとなんだか尊い気がする(牛丼か分からんけど)

 

他人だけでなく自分が外食をする時も、食べたいものになんとなく目星をつけてその店に向かうこの工程を客観的に想像したときに込み上げてくる面白さがある

 

たまに立ち寄る駅には栗どら焼きの名店があって、朝の8時とかから並んでる人がいる

9時近くになるともう行列になっている

この人たちみんな栗どら焼きを求めて寒空の下並んでいるのだ…と思うとなんだか尊いもののように思えてくる

 

自分が行列に並ぶ時もそんな集団に参加してるのだと思って並ぶとなんだか楽しいし勝手に一体感を感じてしまう

椅子を持参してる人もいるとなお趣がある

 

お腹がいっぱいになった人の顔を見るのも好きだ

馬鹿にしてるわけではなく、慈しみ寄りの意味で好きである

もうお腹いっぱいだなあ…と一息つく瞬間、急に箸の進みがゆっくりになるその仕草、なんだか愛おしく感じてしまうのだった

 

弁当屋でバイトしていた時、忙しい店舗であまり余裕はなかったけど、空いてる時間帯はそんなことを考えてひとり楽しかった…

この人は幕の内頼みそうとか海苔弁当っぽいな…とかお弁当クイズをひとりで開催したりしていたなあ〜とふと思い出してしまった出来事であった

 

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(出来事の発端)