庶民の食卓

繊細そうで鈍感な少し大雑把なラー油

疑惑のレタス

かえって疑惑を呼ぶ食品表示ってありません?

 

消泡剤無添加!とか着色料無添加!とか書いてあると消泡剤や着色料って使われてたら良くないのですか?とつい考えてしまうというやつ…

 

そんなことを考えていたら法が整備されたらしい

https://foods-ch.infomart.co.jp/anzen/law/1658735680724

ここにある、キャリーオーバーによる不使用表示については確かに!となった

お弁当で例えば着色料無添加!と表示があったとしてもおかずにある魚の照り焼きに使用されている醤油に着色料が使われてることはあるよっていうことで、

今までそれでも不使用表示できていたけどダメになったってことらしい

 

個人的には買う時にツッコミ入れたくなるだけなので困ってないけどね

本当に無添加にこだわってる場合選ぶの大変だよね…

 

あとよくレタス何個分の食物繊維!とかビタミンC!とか表示があるのをみると、レタスどんだけすごいの?ってなりません?

広さの単位で東京ドーム何個分!は東京ドームの広さがなんとなくみんな想像できるからすごく広いのが分かるけど

レタスで栄養価の説明されてもレタス一個分の栄養価を覚えてる人、いる?なんかぼんやりしてません?

レタス1個食べきるのは大変ということしか分からんけどレタス5個食べたのと同じ量!なんかすごい!みたいな雰囲気になる

例として食物繊維をあげると

実際のところレタス一個あたりの食物繊維は3.3gで大体1日に20グラム前後が必要なのでそうでもない

ちなみにキャベツ1玉だと約18g

f:id:minubel:20240214203127j:image

(これは…レタス!)

 

管理栄養士試験の中でも食品表示って奥が深くて日常生活にも関わりがあるから結構好きな分野だったな〜

食品表示については結構考えるのが好きなのでまた何か書くかもしれない

多い旨の表示をするには何を何%含まなくてはならないとか、

麦みそが味噌を名乗れない問題とか…

梅水晶の将来

世間一般に『梅水晶』という食べ物はどれくらい浸透しているのだろうか?

私はあれが居酒屋でのつまみ類の中では結構好きなのである

 

居酒屋で毎回見かけるということはなく、かといって滅多に出会えないわけでもない

2〜3割の確率で出会える

 

あると嬉しくなってつい、あ!梅水晶がある!と周りに言いたくなる

そんなおつまみ

 

f:id:minubel:20240213194906j:image

(胡瓜とか混ざってないそのままが好き)

 

周りの反応は大体知らないか、

どういうものか説明すると、あ〜そういう料理見たことあるかも!見たらわかるかも!的反応をたまにもらえる

知らない人のほうが多い(私の周り調べ)

あれ美味しいよね!という反応を頂けたことは今のところなく…

でもきっと好きな人にはすごく刺さっているはずだと信じている

 

梅水晶はマイナーというか少数派だからこそ好きな人が好きだとキチンと表明しないと存続が危ぶまれるのでは!?と勝手に危機感を抱いている

 

梅干しと鮫軟骨を合わせたもの、似たものもこれといってないのですよ

と思いながらGoogle梅水晶について調べていたら密かな人気!梅水晶!みたいな記事が何個かヒットしたので

梅水晶の将来は明るいのかもと少し安心したのであった

他人の腹具合が気になる

道ゆく前を歩いている人が松屋に入っていった

ポケットに手を入れてスッと流れるように松屋に入っていった姿になんだか心惹かれた

同じ日に星乃珈琲店に入っていく親子を見かけた

そこまでときめかなかった

 

多分だけど空腹を満たそうとしてる人を見るのが好きなのだと思う

でも、例えばお腹空いた!と娘に言われるのは少し意味合いが違く、自分が作るという条件が追加されるため、ご飯を作らねばならぬ時が来たか…と覚悟を決めるのだが

 

松屋の方は想像の余地があって楽しい

数ある駅前の飲食店の中から松屋をこの人は選んだのか…とか妄想してしまう

あ!お腹が空いていてなおかつ牛丼が食べたい人だ!と思って背中を見送るとなんだか尊い気がする(牛丼か分からんけど)

 

他人だけでなく自分が外食をする時も、食べたいものになんとなく目星をつけてその店に向かうこの工程を客観的に想像したときに込み上げてくる面白さがある

 

たまに立ち寄る駅には栗どら焼きの名店があって、朝の8時とかから並んでる人がいる

9時近くになるともう行列になっている

この人たちみんな栗どら焼きを求めて寒空の下並んでいるのだ…と思うとなんだか尊いもののように思えてくる

 

自分が行列に並ぶ時もそんな集団に参加してるのだと思って並ぶとなんだか楽しいし勝手に一体感を感じてしまう

椅子を持参してる人もいるとなお趣がある

 

お腹がいっぱいになった人の顔を見るのも好きだ

馬鹿にしてるわけではなく、慈しみ寄りの意味で好きである

もうお腹いっぱいだなあ…と一息つく瞬間、急に箸の進みがゆっくりになるその仕草、なんだか愛おしく感じてしまうのだった

 

弁当屋でバイトしていた時、忙しい店舗であまり余裕はなかったけど、空いてる時間帯はそんなことを考えてひとり楽しかった…

この人は幕の内頼みそうとか海苔弁当っぽいな…とかお弁当クイズをひとりで開催したりしていたなあ〜とふと思い出してしまった出来事であった

 

f:id:minubel:20240208075027j:image

(出来事の発端)

相撲部屋のちゃんこ鍋

f:id:minubel:20240206203727j:image

(ちゃんこ鍋を急に何も見ずに描くのはレベルが高いという発見)

 

相撲部屋のちゃんこ鍋ってなぜかすごく魅力的ではないですか?

 

元力士が経営するちゃんこ屋さん、両国あたりでよく見かけるし行って食べたこともあるけど

私としては相撲部屋で力士と一緒にちゃんこ鍋を囲んでみたいというおそらく実現不可能な願望があるし

なんなら相撲部屋のちゃんこ鍋を作る方になってみたいという気持ちもあったり…

 

陸軍海軍カレーなどのようにごくごく限られた場所でしか食べられないもの

海軍やお相撲さんに特別料理上手なイメージはないのになぜか素敵にみえる

 

そこでしか食べられないものってなんか素敵だ

サイゼリヤのミラノ風ドリア

カプリチョーザのトマトニンニクスパゲティ

いまやミニストップでしか売ってないフランスパン工房

カールも西日本でしか食べられないとなると途端により食べたくなる不思議

ラケルのパン

ナチュラルローソンのあんこギッフェリ

 

学校給食とかもね
私は特にイカを揚げたものを手巻き寿司にするやつとか、さきたまロールとかコバトンパンが好きだったなあ〜

 

バナナに対する畏れ

食べることが好きなので、苦手なものや嫌いなものでも調理法など変えてなるべく美味しく食べたいという気持ちを持ち合わせている方だと我ながら思う

果物に苦手が多いのだけど、
苦手だったマンゴーも干せば食べられるようになったし、特に缶詰が苦手だったパイナップルや桃も生食なら食べられるようになった

ただ、色々調理法を変えてもどうしても舌に合わないもの、それがバナナ…

f:id:minubel:20240204202710j:image

(もちろんバナナに罪はない)


昔は食べられていたのに、いつのまにか食べられなくなってしまった
干しても焼いても揚げても潰しても食べられないし、生食が1番苦手だ
ここが苦手!という理由がありすぎて調理法どうこうで対処のしようがなく
好きなところというか許容できる食材としての特徴がひとつもないのである
味・食感・舌触り・香り全てどれをとっても苦手だ

夏、スーパーの果物売り場は匂いが苦手なのであまり近寄らないようにしている

 

ちなみに肌が荒れたり体調が悪くなったこともないため食物アレルギーでもない
なにより昔は特別好きではなかったものの、普通に食べられていたのだ
幼稚園でおやつとして与えられていた記憶がある

なのに今は野菜ジュースにほんの少し含まれるバナナですら受け付けないので果物ジュースや野菜ジュースは成分表示を必ず確認してから買うようになってしまった

昔食べられていたという事実も含めとても興味深い現象だと思っている

中学生の時にはもう一切受け付けなくなっていたと思う
果物を食べる習慣が一切無い家で育ったため、久しぶりに食べたら受け付けなくなってしまった

 

この、なんなら好きな食べ物よりも強く表出してしまう食べられないものに対する強い感情はなんなのだろうか
食べ物に罪はないのに時には親の仇のように排除しようとしてしまうこの気持ち
見知らぬバナナ農家さんに対して申し訳ない気持ち

職業柄、人の食生活に携わる仕事をしているので、その上でも栄養的に優等生なバナナには大変お世話になっているし、子にもよくおやつとして与えていたりお世話になっているのに
バナナにもらった恩(?)を仇で返しているようだ

 

これが『好き嫌いは誰にでもある』『食べられないものは仕方ない』ということなのだとバナナについて考えると実感することができる
この気持ちを理解することは仕事をする上でも大切なことでもあると思うから役には立っている

 

今のところは具体的に克服方法が思い浮かばないため、ふと嫌いになったのと同じようにふといつか克服できる日が訪れるといいなあと考えてたりする

誰かもし苦手な人でも食べられたレシピがあったら教えてほしい

コロッケとなめろう

節分になると豆を食べるという習慣

魔を滅するというダジャレからきているらしい

炒った豆なのは鬼を射るにかけているらしい

f:id:minubel:20240203190612j:image

(枡に入ったマメ)

マをメっするでマメ…結構安直なんだなと初めて知った時は思った

行事食とその起源について調べるのが好きなんだけど、日本の行事食はこういった少し無理のあるこじつけが多くて面白い

 

よく稲が根付くように田植えの季節である夏至にタコを食べたり…(タコの吸盤は一度くっついたら離れないかららしい)

節分には魔を滅する炒り豆を食べて鰯の頭を燻したものをトゲトゲした柊にさして軒先に飾ったら鬼を追い払えるとする!と一番最初に決めたのはどんな人なんだろう

f:id:minubel:20240203190645j:image

(鬼が逃げていくらしい)

 

昔の人は鬼がいるってどの程度信じていたのかな

割と大雑把な言葉遊びで決められたものが文化となり大事に継承されて今に至る過程にロマンを感じてしまう

 

今も受験に勝つ!でカツ丼食べたり受かるためにカールを食べたりしているし

気持ちって大事よね

 

節分に食べる恵方巻きは元々関西の行事なのだから関東で流行っているのはコンビニやデパートの商業的な匂いがする!とケチつける人がいるように、節分の習慣にも豆なんか食ったって意味ねーよ!的な方も当時はいたりしたのかな

 

こういう類のものは大きな困難や心配事にぶつかった時、乗り越えるためのちょっとした願掛けなのかもと思う

多くの人が無病息災を願って食べ続けたという人の想いが大事なのであって、起源の神聖さとかって割とどうでもいいのかもねとしみじみして、昔の人の想いに触れて温かい気持ちになれるのが行事食のいいところだと思っている

 

令和で言えばコロナを滅するでコロッケとなめろうを食べたって良いわけだ

みんながそう願って末長く食べ続けられれば…!

カニに対する憧れ

昨晩カニを買う夢を見た
なぜか和菓子屋で和菓子とともに売っていた
一杯680円(!?)で、安いね!嬉し〜!!と夢の中の私はワクワクしながら2杯買って帰路についていた

f:id:minubel:20240203084857j:image

(想像しながら描いたカニ

 

カニに対して謎に強い憧れがある
それはもう夢にみるほどの
高級な食材で食べたことがないものは多々あれど、スーパーでよく見かけるカニは手が届きそうで手を伸ばしたことがないものなので、手が届きそうな分憧れも増してしまうのだ

 

今までカニと縁のない人生を送ってきてしまった
夫は年末の定番だったらしく、毎年カニの話になる

食べたことがないから期待と憧れだけが膨らんでいく
毎年末カニにチャレンジしようかスーパーに行っては悩み、値札を見てやめるのだ
多分年末の値段になっているからなんでもない時に買った方がまだ安いだろうとかなんとか理由をつけて先送りにしてしまう

 

実際、調理したこともないのでカニがどどん!とまるごとあったとして、困惑すると思う

あの大きさは鍋に入るのか?足をギュッッッと縮こまらせて入れるのか?それとも切る?どこを?かにみそ出ちゃわない?

まあスマホで検索すればきっと分かるのだろうけど…


そして高い食材を美味しく調理したいプレッシャーでドキドキしてしまうと思う
調理法も海水くらいの塩水で茹でれば美味しいのかな?
それともオーブンで焼く?

などと考えてると憧れと期待と畏れが益々膨らんでしまい、それらがいざ食べた時にがっかりしてしまうのでは?くらいの大きさに成長し、家でカニを食べることのハードルが爆上がりしている

 

この期待を裏切らないおいしさってあるのかな?なんだか性格的に期待ほど美味しくなくても美味しいと自分を納得させてしまいそうな自分に気付けないかもしれないという謎の心配をしている


出会わなければそれはそれで幸せなことなのかもしれない
世の中知らない方が幸せということもあるのかもしれないし…とまたカニとの邂逅を果たせずにいるのであった