魔を滅するというダジャレからきているらしい
炒った豆なのは鬼を射るにかけているらしい
(枡に入ったマメ)
マをメっするでマメ…結構安直なんだなと初めて知った時は思った
行事食とその起源について調べるのが好きなんだけど、日本の行事食はこういった少し無理のあるこじつけが多くて面白い
よく稲が根付くように田植えの季節である夏至にタコを食べたり…(タコの吸盤は一度くっついたら離れないかららしい)
節分には魔を滅する炒り豆を食べて鰯の頭を燻したものをトゲトゲした柊にさして軒先に飾ったら鬼を追い払えるとする!と一番最初に決めたのはどんな人なんだろう
(鬼が逃げていくらしい)
昔の人は鬼がいるってどの程度信じていたのかな
割と大雑把な言葉遊びで決められたものが文化となり大事に継承されて今に至る過程にロマンを感じてしまう
今も受験に勝つ!でカツ丼食べたり受かるためにカールを食べたりしているし
気持ちって大事よね
節分に食べる恵方巻きは元々関西の行事なのだから関東で流行っているのはコンビニやデパートの商業的な匂いがする!とケチつける人がいるように、節分の習慣にも豆なんか食ったって意味ねーよ!的な方も当時はいたりしたのかな
こういう類のものは大きな困難や心配事にぶつかった時、乗り越えるためのちょっとした願掛けなのかもと思う
多くの人が無病息災を願って食べ続けたという人の想いが大事なのであって、起源の神聖さとかって割とどうでもいいのかもねとしみじみして、昔の人の想いに触れて温かい気持ちになれるのが行事食のいいところだと思っている
令和で言えばコロナを滅するでコロッケとなめろうを食べたって良いわけだ
みんながそう願って末長く食べ続けられれば…!